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ドラフトで大注目!清宮幸太郎の原点は父の言葉?母は食事管理も

      2017/10/20

プロ野球ファン注目のドラフト会議が、いよいよ10月26日木曜日に開かれます。
そのドラフト候補のなかでも、注目度ダントツの1位が、早実の清宮幸太郎選手です。 
みんなが期待し、楽しみにしているのが、「何球団が1位で指名するか」ということで、
そこには、「野茂の記録、8球団が1位指名」を抜くかという興味があるわけです。

ここでは、彼がこれまで歩んできた道を振り返りながら、
清宮幸太郎を支えてきたもの、そして彼が目指しているもの
について考えてみようと思います。

 

野球への道を決意させたのはハンカチ王子?

2006年夏、清宮幸太郎少年は、甲子園球場のアルプススタンドにいました。
高校野球史に残る熱闘、早稲田実業対駒大苫小牧の決勝戦、
「ハンカチ王子」と呼ばれた斎藤佑樹と田中将大が投げ合って延長15回、決着がつかず、
翌日再試合、4対3で早実が勝ち、初優勝に輝いた伝説の決勝戦です。

この試合をスタンドの観客席で見た幸太郎少年は、帰京後、父の清宮克幸さんに
将来は野球の道に進みたいということを言います。

 

「世界一をとれるならいい」と父・克幸さんは言った。

それに対する父親の返事は、どんなものだったか。
2013年3月に発行された雑誌「DIME」の取材に、当時中学3年の清宮幸太郎が答えています。

父は「野球で1番をとれるならいい」と言いました。
同世代、地域、日本、世界の1番です。
「とれないなら、ラグビーだぞ」と。

清宮幸太郎は、1999年5月の生まれですから、2006年は7才です。
7才の子どもが、将来まで考えていたかどうかは分かりませんが、「野球をやりたい」という希望を言ったことに対し、
 「世界一になるならいい」とこたえる父親って何なのだと思ってしまいます。

ふつう、「そうか、がんばれよ。お父さんも応援しているからな」と
やさしい笑顔で応えるのが父親ではないでしょうか。
                    

しかし、克幸さんがそうまで言うのには理由がないわけではありません。
「清宮」という名前は、ラグビーファンなら誰でも知っています。

その華麗なラグビー人生を、簡単に説明すると、

・大阪府立茨田高校で1年からレギュラー、3年のとき主将として全国大会出場に貢献、
 高校日本代表の主将もつとめる。
・早稲田大学では、2年で日本選手権優勝、3年のときは主将として全国大学選手権優勝
・サントリーに入社。ラグビー部で主将をつとめ、1995年度全国社会人大会優勝、つづく
 日本選手権でも優勝

以上が現役選手としての実績ですが、監督としても、
2003年、監督就任3年目の早大が13年ぶりに全国大学選手権優勝、2005年、2006年大学選手権連覇達成
その後、サントリーの監督をつとめたあと、ヤマハ発動機ジュビロの監督に就任、
2015年日本選手権優勝

簡単に書こうとしても、これだけの「日本一」が並んでしまいます。
この、日本ラグビー史に名を残している父にすれば、
息子も自分と同じラグビーの道を選び、自分を越える選手になってもらいたい
 と思うのは、当然と言えば当然でしょう。

だからおそらく、小学校に通いはじめたばかりの幸太郎君が、
「野球をやりたい」と言ったことに少なからぬショックを受け、つい、
「世界一をとれるならいい」と言ってしまった、というのが実情なのではないでしょうか。
それができないなら、ラグビーだぞ」という言葉に、親としての息子への期待
  表れています。

 

地下トレーニング室で来る日も来る日もひたすら繰り返した練習。
この部屋は、幸太郎のために作られたものだそうです。

世界一になることを課題として与えられた清宮幸太郎は、それからの日々、
おそらく私たちが想像する以上の練習に力を注いだのでしょう。
 小学4年のときリトルリーグに入団、野球の道に一歩を踏み出しました。

     練習のときから勝負は始まっている。
     練習だからと手を抜かず、試合の感覚で常に臨みました。
     素振りも試合のシーンをイメージし、ひと振りごと、
     カーブ、スライダーと振り分けています。

「DIME」の記事のなかの彼の言葉です。

とても中学1年、13才の少年の言うことには聞こえません。
高校野球の甲子園大会で優勝したチームの選手が言ったとしても、
違和感なく聞けます。

想像してみてください。
小学生が、チームの練習が終わったあとも、自宅の地下にあるトレーニングルームで練習。
毎日300回の素振りを欠かさなかった。
同じ年ごろの子どもたちが、テレビのアニメ番組やゲームに興じているとき、
清宮少年は、ひとり黙々と300回の素振りに汗を流していたのです。
そのとき、彼は心の中で、どんなことを考えていたのでしょう。

リトルリーグ世界選手権で優勝、世界一に。

努力は必ず報われる。
「東京北砂リトルリーグ」(チーム名です)に所属した清宮は、厳しい練習の成果と言うべきでしょうか、
通算132本のホームランを打ち、2012年にはリトルリーグ世界選手権で優勝
ついに世界一の座を獲得しました。

このとき、決勝戦までの5試合の打率が6割6分7厘、3本塁打、6打点、
アメリカのメディアは、
和製ベーブルース」と評しました。それだけではありません。
清宮幸太郎はピッチャーとしても2試合投げ、2勝をあげています。
見事な二刀流、日本ハムファイターズの大谷選手も真っ青の活躍ぶりです。

 

母もまたアスリート。幸太郎の食事管理もバッチリ!

6年前に父から与えられた「世界一」という課題をクリアした幸太郎くんと父・克幸さんが
このときどんな会話を交わしたか、それは明らかになっていませんが、
そんな父と子を、近くでずっと見守ってきた人を忘れてはなりません。

母親の幸世(さちよ)さんです。
慶応大学時代はゴルフ部の主将だったそうですから母もまた
スポーツウーマンであったということでしょう。
幸世さんは「アスリートフードマイスター」の資格を取得し、幸太郎くんの食事管理に気を配ってきました。
彼の今の体格、身長186センチ、体重97キロはそのたまものといえるのかもしれません。
なにしろ、「スナック菓子やファストフードは絶対ダメ!」だそうですから。

幸太郎の弟も野球の道へ。名前は福太郎、二人合わせて「幸福」

清宮家にはもうひとり、野球少年がいます。いま中学2年の福太郎くん。
兄とおなじ「東京北砂リトルリーグ」の選手として、リトルリーグ世界選手権に出場、
優勝
しています。
確実に兄と同じ道を歩んでいますが、お兄ちゃんに負けないくらいの実力がある
という声もあります。

福太郎くんもまた数年後にはドラフトの注目選手になっているかもしれません。
父・克幸さんとしては、兄弟ふたりとも一流のプロ野球選手になってくれるのは
嬉しいには違いないでしょうが、どちらかラグビー選手になってくれてたらなあと
思う気持ちもあるのではないでしょうか。

 

 早実で夏の甲子園大会出場。1年生ながら2本の本塁打。

2015年、早稲田実業高校に進学した清宮幸太郎の活躍は、今さら説明の必要も
ないでしょう。
1年のときからレギュラーになり、夏の甲子園大会で2本のホームランを打ちますが、
それまで野球ファンのなかにとどまっていた人気が、このとき一気に全国区になったと言っていいでしょう。
高校通算のホームラン記録を塗り替えるかどうかというときには、
スポーツニュースだけでなく、NHKニュースも取り上げていました。

未だ達成されていない?父から課せられた目標「世界一」

「世界一になるなら」という父の言葉を背負ったのが、小学1年、7才のとき。
それから11年、野球の道を歩み続けてきた清宮幸太郎は、まもなくプロ野球ドラフト会議の日を迎えます。
先日は10球団と面談、1位指名を明言したチームもあったとか。

選手の側に選択する権利がないことがドラフトという制度の悲しさですが、清宮も人の子、
このチームに行きたいという気持ちはあるでしょう。その希望が叶うかどうか、
野球ファンは野次馬気分で見物するだけですが、
ここまで彼のことを振り返ってみると、ドラフト会議も清宮幸太郎にとっては
目標を達成する過程のひとつの出来事にしか過ぎないのでは、と思えてきます。           

 

「目標」とは何か。
父との約束「世界一」になることです。                    
リトルリーグ世界選手権で優勝したとき、課題をクリアしたと思った清宮に
まだまだだ。世界一は先にある」と父・克幸さんが言った、
あくまでも想像ですが、そんなことがあってもおかしくない父と子、
アスリートの魂を持つふたりなら、十分あり得ると思うのですが。

清宮幸太郎にとって「世界一」は野球人生の原点であり、
未だ到達していない究極のゴールなのかもしれません。

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