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佐藤浩市と父との不仲理由が遂に明らかに?俳優として尊敬!

   

演技にただならぬこだわりを持つ佐藤浩市さん。父である三国連太郎さんとは不仲説がささやかれ続けていますが、その理由は何なのでしょうか?さらに気になる私生活についても調べてみました!

 

プロフィール

職業  :俳優
生年月日:1960年12月10日
血液型 :A型
出身地 :東京都
趣味  :競馬、ゴルフ、音楽鑑賞、酒
身長  :182cm

佐藤浩市さんは多摩芸術学園映画学科在籍中の1980年の時にNHKの「続・続事件」で俳優としてデビューを果たします。翌年の映画「青春の門」ではブルーリボン賞新人賞を受賞しました!

映画「ザ・マジックアワー」など代表作は数多く残されています。

出典:pinky-media.jp

父との不仲理由が遂に明らかに!?

俳優としてのポリシーは「映像の世界で際立つ」というもので、デビューしたての時期からその演技への評価は高かったのです。

舞台作品へもオファーは多数あります。ですが先のポリシーに基づき、あくまでも自身は映像の世界で魅力的にうつるのだとする自己評価のもと、映像作品への出演に限っています。

そんな佐藤浩市さんの父親は俳優の三國連太郎さんです。言わずと知れた名俳優ですよね。2013年に90歳で亡くなっています。佐藤浩市さんの演技力はこの名優から受け継いだものなのでしょう。

 

しかしながら、その親子関係は決して良好とはいえないものでした。そう確執があったのです。同じ俳優であるのにも関わらずです。

その原因は佐藤浩市さんの出生にも関係します。

 
三國連太郎さんには生涯で4人の奥様が存在していました。佐藤浩市さんは3番目の奥様との間の息子として誕生しました。佐藤浩市さんが幼い頃に三國さんは家を出て佐藤さんとお母様は二人で暮らしていたそうです。

さらにはそのお母様も他の男性と同棲をし始めるなどしたため、佐藤浩市さんは高校生の時点ですでに家を出ています。

 

その後、佐藤浩市さんは俳優になることを決意します。それは大学生の頃でした。三國さんにその旨を伝えたときの返事が次のものです。

おやりになるなら、親子の縁を切りましょう。

演技についても何も言いません。

 

この発言には俳優として長年仕事をしてきた先輩としての意図が隠されていました。それはつまり、俳優というのは例えば歌舞伎のような伝統芸能とは違っていて親から子に伝えていく類のものではないということです。

あくまでも自分が演技の練習をして、場数をふんで自らやり方を探し求め、つくりあげていくものであるということです。

さらに三國さん自身が俳優という仕事に関して、佐藤浩市さんに対して何かの支えになる自信がなかったとも語られています。こうした意図を当時の佐藤浩市さんはどれほど汲んでいたのでしょうか。

のちの1986年映画「人間の約束」で初めて共演をするまで、俳優としての関わり合いは一切ありませんでした。直接関わり合いのある共演としては1996年の映画「美味しんぼ」が初めてです。

 

このときの制作発表会ではお互いに「佐藤さん」、「三國さん」と呼び合い、とても親子とは呼べないような態度でした。さらに佐藤浩市さんの

俳優はサービス業

という発言に対して三國さんは

サービス業などと言う考え方は間違っている

と発言し、会場が不穏な空気にもなりました。

しかしながら、こうした確執の伴う関係性にも転機が訪れます。それが三國さんの死でした。急性腎不全により2013年の4月14日に亡くなったのです。

この翌日、佐藤さんがメディアの取材に応じた言葉は次のようなものでした。

ひどい父親だった。

 

僕がここに立ってやりたいと思える芝居をやれるのは、三國連太郎という人がいたから。

 

と。たしかに父親としては心の底から尊敬できてはいなかったのかもしれません。しかし俳優の先輩として受けた影響は確実にあり、そのことに対して佐藤さんは感謝をしているのだと思われます。

言葉にしなくても行動にうつさなくても、切っても切れない親子ならではの「縁」が二人の間には確実に存在していたのでしょう。
三國さんの遺言では「散骨」を希望していたようですが佐藤さんは都内にお墓をつくり納骨しています。

そこにも感謝の気持ち、もしくは尊敬する気持ちがあらわれているのではないでしょうか?この親子がつくりあげた日本の演技に対する功績は計り知れません。

 

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